フリクションポイントノック04はなかなか良い

パイロット フリクションポイントノック04 8色セット

最近(といっても去年だが)出たフリクションポイントノック04を使ってみたがなかなか良い。フリクションでノック式で太さが0.4mmの極細。パイロットらしく相変わらず即物的な商品名で分かりやすい。

以前も書いた通り、フリクションは消えるし消しゴムが要らないので便利なんだけれど、私のようにふだん万年筆やローラーボール(水性ボールペン)を使っている人間からすると、ひっかかったりかすれたりとどうにも書き味が悪く敬遠しがちだった。極細字ということは紙との接地面も小さく、なめらかな書き心地は最初から望めないのだが、とはいえさすがに技術進歩といいますか、フリクションが世に出てから10年以上経っているので、大分改善されてきたようだ。インク自体も粘度等を調整しているのだろうが、ゲルインキペンのジュースアップで導入したシナジーチップとかいう凝ったペン先を採用したのが効いているのではないかと思う。ジュースアップそのものは見かけがどんくさい感じがしてあまり惹かれなかったのだが、今回のは金属クリップがアクセントになっていてまあまあの見栄えだ。ゼブラのブレンが成功したのを見て、少しはデザインの重要性に気づいたんですかね。

書き心地に加え、今のところ8色出ていてどれも発色が鮮やかで良い。透明感ある現代風の色で、しかも消せるので、マインドマップとか描く人に向いているのではないかと思う。しばらく前にキングジムから出たペンケース(これも名作だと思うのだがあんまり話題にならないね)、オクトタツの小さい方に8本ぴったり収まる。

キングジム ペンケース 倒れない ペン立て オクトタツ 黒 2564クロ

fishを試す

コマンドラインシェルはなんだかんだで一番付き合う時間が長いプログラムだが、個人的には大したこだわりはない。シェルスクリプティングという点ではPOSIX準拠は重要だが、インタラクティヴに使うぶんにはどうでもいいような気がする。そんなこんなで、最近若い人たちにfishが良いと言われたので、試してみることにした。

というか、実のところ数年前に一度試してはみたのだが、まあZshoh-my-zsh(その後Preztoに移行)でいいやと面倒くさくなって手を引いたのである。で、今回他のウェブサイトを参考にちょこちょこ設定しようとしたら、ことごとく情報が古くなっていて頭に来たのでメモを残しておく。

とりあえずfishそのもののインストールは、Debianベースのシステムならば

# apt-get install fish

でOK。fishそのものの使い方は、公式サイトのチュートリアルを読めば十分分かる。

fishはそのままでもそれなりに使いやすいが、oh-my-zsh的な設定フレームワークを追加したい場合はoh-my-fish(omf)…ではなくてfisherを使うと良いのがナウいようだ(fisher作者による比較)。fisherはomfほど総合的なフレームワークではなく、パッケージマネージャに徹しているようだが、そのぶん軽いしomfのパッケージやテーマも扱えるので便利である。なお、fisherはかつてfishermanと呼ばれていた。

fisherのインストールは、以下のワンライナーでいける。

$ curl https://git.io/fisher --create-dirs -sLo ~/.config/fish/functions/fisher.fish

omfは使わないといいつつ、実はomfのデフォルト・テーマはシンプルで結構気に入っているのである。こいつをインストールするには、

$ fisher add fishpkg/fish-git-util
$ fisher add oh-my-fish/theme-default

を実行する。どうもfisherへのコマンドやアドレスの渡し方がころころ変わったようで、ウェブ上には違うことが書いてあるページが結構あるのだが、2019年8月現在の正解はこれのようである。

モーレツ! Org mode 教室 その8: org-journalで日記を書く

情けないことに、三日坊主どころか二日日記が続いた試しがなかったのだが、 org-journal を使い始めてからどうにかこうにか続いている。今回はその話をしたい。

設定は簡単で、 ~/.emacs.d/init.d

(use-package org-journal
  :ensure t
  :defer t
  :custom
  (org-journal-dir “~/Dropbox/Org/journal”)
  (org-journal-date-format “%A, %d %B %Y”))

などと書けば良い。

C-c C-j と打てば、 org-journal-dir で指定したディレクトリの下に、 20190225 といった具合に日付がファイル名となったファイルが作成される(すでにあれば、新しいエントリが挿入される)。後は普通にOrg記法で日記を書くだけである。前回書いた日記を見るには C-c C-b 、検索は C-c C-s だ。 org-journal-enable-encryptt にしてやれば、 org-crypt による暗号化もできる。

Emacsの calendar との連携もバッチリで、 M-x calendar でカレンダーを起動した後、日付の上で C-j を押すとその日のエントリが表示される。

以前紹介した org-capture で使うには、ややトリッキーだが

(defun org-journal-find-location ()
  (org-journal-new-entry t)
  (goto-char (point-min)))

(setq org-capture-templates '(("j" "Journal entry" entry (function org-journal-find-location)
                               "* %(format-time-string org-journal-time-format)%^{Title}\n%i%?")))

などとしてやれば、 C-c c j でメモやTODOと同じ感覚で日記が書けるようになる。これもまた便利である。他にもいろいろ機能があるが、それは org-journal のウェブページを見てもらいたい。

なんといいますか、あまりに自然に使えるので、あまり書くことがないのだが、おすすめですよ。

ステッドラー ザ・ペンシル

ステッドラー The Pencil Set タッチペン付き鉛筆3本セット

ここ数年ドイツ・ベルリンへ行く機会が多いのだが、今年もライプチヒでの35c3(The 35th Chaos Communication Congress)からの帰りに立ち寄った。以前このブログで書いた通り、ベルリンではKaDeWeという伊勢丹的なデパートへ行ってお土産を買うのだが(年末だけにすさまじい混み具合)、店内をふらふらしていたらうっかりこれを見つけてしまったのである。29.90ユーロですから、4000円くらいですか。
意味不明に高価な鉛筆といえばファーバーカステルのパーフェクト・ペンシルが有名だが、同じドイツのステッドラーが数年前、対抗馬として出したのがこのザ・ペンシルである。私は4年前、やはりベルリンのKaDeWeでパーフェクト・ペンシルUFOをうっかり買ってしまい、自分の馬鹿さ加減に嫌気が差したのだが、今回また似たようなものを買ってしまったわけで、自己嫌悪はいよいよ深まるばかりだ。
製図用品や事務用品だけではじり貧と思ったのか、このところステッドラーはステッドラー・プレミアムと称する高級路線に舵を切って頑張っているのだが、これもまあその一環だったのでしょう。デザインではエレガントさを全面に押し出したファーバーカステルに対して、モダンといいますか、バウハウス的な味が強いのがステッドラー・プレミアムの特徴だが、今ひとつ垢抜けていないような気がするなあ。
エクステンダーにもなる鉛筆削りが付いてくる、というのはパーフェクト・ペンシルと同じだが、ステッドラーが誇る新世代ウォペックス鉛筆ベースというのがウリなんですかねえ。個人的には、書き心地は柔らかくて好みなんだが、黒の発色がやや薄いような気がする。
いずれにせよ、

ちなみにステッドラーも対抗して(?)ザ・ペンシルという似たようなのを出しているようだが、うーん、スタイラスペンになると言われても…。というか、スタイラスペンになるナントカというのは結構あるが、そんなにみんなスタイラスペンを使っているの?

という4年前のわたくしの疑問に答えられる自信はない。
そんなわけで、あけましておめでとうございます。今年もよろしく。

児童ポルノの表現規制に関する考え方のスケッチ

はじめに

漫画やアニメ等の表現規制派の旗頭の一人で、東京都青少年問題協議会委員等の公職にも就いていたメディア学者、渡辺真由子氏の著書「『創作子どもポルノ』と子どもの人権」に、剽窃があるとのことで出版社が回収する騒ぎとなった。そのおかげで、というのも妙な話だが、渡辺が言うところの「創作子どもポルノ」、一般的には非実在児童ポルノとか準児童ポルノと呼ばれていると思うが、そうしたものの表現規制に関する議論が再浮上した感がある。

私が関わるMIAUは、2008年に起きた日本ユニセフ協会による準児童ポルノ騒動以来、長年に渡ってこの問題に深くコミットしてきたが、正直言って私自身はこの手の問題に専門的知見があるわけではない。そんなわけで、自分の頭の整理を兼ねて児童ポルノの表現規制に関する考え方をまとめてみた。似たようなことはすでに多くの人が書いているので、ようは個人的なメモである。

表現規制は結局法規制の問題に帰着するので、法学的、法制史的、あるいは国際比較法的な議論が重要だとは思うが、ここではできるだけ法的議論には踏み込まないという方針でやってみたい。素朴なロジックの範囲でどう考えられるか、というのがテーマだ。

不可侵原則と他者危害原則

表現規制を巡る議論が不毛になりがちなのは、規制派と反対派で前提を共有していないからではないかと思う。そこで、最初に私自身の前提というか考え方を明らかにしておきたい。

私がこの手の問題を考える際に基本とするのは、Non-aggression principle である。英語圏では NAP としてよく知られているが、日本語の定訳は無いようだ。以下では、やや座りの悪い訳だが「不可侵原則」ということにしたい。

これは、「同意が無い限り、他者を侵害してはならない」という立場のことである。ここでの侵害(aggression)とは、他者の所有権や決定権を強制的に犯したり、犯すと脅迫する行為全般のことを指す。我々の身体や能力には自己所有権や自己決定権が及ぶと考えられるので、当然、(性)暴力等も侵害となる。一方、外科医が患者の開腹手術を行うのと、殺人鬼が被害者の腹をナイフで裂くのは、外形的にはあまり違いがない。そこで、同意(consent)の質と有無が重要となるわけだ。当然同意主体には成熟した判断能力が必要とされるので、未成熟な児童の「同意」は、最低でも割り引いて評価しなければならないだろう。これが、年齢によるレーティングが正当化される根拠である。

これと表裏一体なのが(というか、出所は同じなので同じものと見なしてもよいのだが)、他者危害原則(Harm principle)である。これは、「他者への危害は、他者からの危害を防ぐ自衛の場合のみ正当化しうる」という立場である。Harmは危害と訳されることが多いが、相手を危険にさらすような行為だけではなく、より広い意味での干渉や介入全般を意味する。

裏を返せば、他者を侵害しない限り、他人から見てどんなに馬鹿で不道徳なことをしようと干渉されるいわれはなく、個人の自由、という立場でもある。不可侵原則や他者危害原則は不干渉原則でもあり、愚行権とも表裏一体なのだ。

その背景には、自分のことは自分が一番よく分かっているのであって、情報という点でも利害という点でも劣る他人があれこれ言うべきではない、という考え方もあれば、長期的に見ればさすがにいつかは自分のやっていることの馬鹿さ加減に気づくだろう、という人間の理性への信頼もあるだろうし、逆に、いつまで経っても人間は不合理で不道徳なことをやりたがる生き物で、遺憾ながらそれは人間性というものと深く結びついている、という諦念もあるだろう。愚行というとあまりイメージが良くないかもしれないが、私自身は、愚行権こそが人間の自由を保障する最後の砦であり、イノベーションの源泉だと考えている。

不可侵原則や他者危害原則に、正当性は認められるだろうか。不可侵原則に正当性がないとすれば、同意無しでも他者への侵害は認められるということになる。常識的に考えれば、これは殺人や暴力はもとより、奴隷制度や臓器くじを認めるという立場であり、現在多くの支持を得られるとは思えない。とはいえ、確かに緊急避難のような例外的ケースはあり得る。しかしそうした例外を認めるに当たっては、データに基づいた、誰の目から見ても明らかというレベルの強力な根拠が必要だろう。

他者危害原則に関しても様々な正当化が出来ると思うが、私としては、愚行権が認められない社会では愚行が出来ず、愚行したい人の自己決定権が侵害される一方、愚行権を認める社会では当然愚行をしない自由もあるわけで、パレート改善というか、最大多数の最大幸福という見地から正当化しうると思う。また、この考え方から導かれる、「する自由」対「しない/させない自由」といった価値観の衝突の解決法は、棲み分け、すなわちゾーニングということになるだろう。見たい人は見る自由、見たくない人は見ない自由を、それほど多大なコストをかけずに行使できる社会ということである。

実在児童ポルノと非実在児童ポルノ

以上の議論に基づき児童ポルノの問題を考えると、まず実在する児童を撮影した実在児童ポルノについては、その児童の自己所有権が明らかに侵害されているわけだから、全く容認の余地がない。実際、世界的に見ても、実在児童ポルノを擁護する声というのは皆無ではないかと思う。日夜、実在の人身売買や児童虐待と戦っている人々が多くいる。以前、スウェーデンにおける非実在児童ポルノを巡る裁判においてスウェーデン警察が、

一方、児童ポルノの摘発に力を入れるスウェーデン警察は、「性的虐待にさらされる恐れのある子どもたちを、空想のイラストと同レベルに扱うべきではない」と批判。既に警察は虐待の加害者の取り締まりで手一杯で、同裁判の焦点は児童ポルノ対策から外れているとして、「イラストまで捜査対象に加えれば、被害に遭っている子どもたちを助けるための時間が削られてしまう」との見解を示している。

述べたそうだが、これは児童ポルノ取り締まりの現実を雄弁に物語っている。

加えて、そもそもそれは本当に実在児童ポルノなのか、というのは慎重に検討する必要があろう。日本人を含むアジア人は、欧米人からは実年齢よりも若く見えるという。この場合、被写体は実は児童ではなく、同意が有効である可能性があるわけだ。実際、かつて30代の日本人グラビア女優の画像が、海外で児童ポルノ扱いされるという珍事件もあった。

では、漫画やアニメ等の非実在児童ポルノはどうか。

とりあえず、実在する児童のポルノ写真をトレースし、絵画だと言い張る者がいたが、これは実在児童ポルノの範疇であろう。

そうではなく、完全にイマジネーションに基づいたキャラクターが描かれた、非実在児童ポルノはどうだろうか。非実在のキャラクターなので、被害者は存在しない(そもそも「児童」なのか、あるいは人間なのかすらも分からない)。そもそも侵害される他者が存在しないのだから、不可侵原則にも他者危害原則にも抵触しないということになる。児童ポルノを見たり描いたりすることへの倫理的、宗教的批判はありうるかもしれないが、それは法的責任とは別の話で、結局は個人の愚行権の範囲内、というのがこれまでの議論から導かれる結論だと思う。

基本的にはこれで話が終わってしまうと思うのだが、それでもなお非実在児童ポルノを規制したいという場合、どのような論理が考えられるだろうか。今までの議論からすれば、最低でもこの場合、他者への侵害が何らかの形で確かに存在する、ということを、説得力ある形で示す必要が出てくる。

一つの方向は、非実在児童ポルノを見ることが、実在の児童虐待や児童性暴力といった犯罪行為を明らかに増加させるということの証明である。メディアを見ればなにがしか影響されるのは当たり前だが、それが実際に犯罪行為を誘発するかは話が別だ。この因果関係が証明されるのであれば、非実在ポルノの規制は予防措置としてある程度正当化できるかもしれない。

この点に関し、ブログで渡辺真由子氏自身のこれまでの研究を再検討した人がいるが、結局渡辺自身も含め、誰も因果は証明できていないようである。今後この分野の一層の研究が待たれるところだろう。とはいえ、個人的には、そもそもフィクション程度に安易に影響されて犯罪に走らないよう、性教育、メディア・リテラシー教育を充実させるほうがはるかに生産的だと思うが…。

もう一つの方向は、非実在児童ポルノの存在により、具体的に実在の児童の「何か」が侵害されるのだ、ということを、説得力ある形で示すことではないかと思う。渡辺の前掲書は、タイトルからするとそもそもはそれが狙いだったのではないかと思われるのだが、批判サイトを見る限りでは、「何か」が何なのか定義することに失敗しているようである。渡辺としては、それは「人権」だと言いたいようなのだが、非実在児童ポルノと実在の児童は何の関係もないわけで、かといっていわゆる集団的人権説を採るわけでもなく、かなり無理のある主張のように思われる。

戦場ジャーナリストと自己責任

シリアで長年武装勢力の人質になっていたジャーナリスト、安田純平氏が解放されたというニュースを受けて、日本のマスメディアでは様々な論評が出ているようだ。個人的には、毎日新聞の記事「<安田さん解放>『自己責任論』に海外経験者ら反論投稿」に違和感を感じた。

というのも、記事に「識者は『海外では唱えられることのない自己責任論が蔓延している状況を懸念」とあるのだが、拘束された戦場ジャーナリストに対し、自己責任の観点から批判が浴びせられることは海外でも決して珍しくないと思われるからである。ついでに言えば、この記事に出てくる人々は別にそんなこと言ってないような…。

例えば、アフガニスタン紛争では多くの欧米ジャーナリストが拉致、拘束されたが、2009年9月には、ニューヨーク・タイムズ紙に所属するイギリス人ジャーナリスト、スティーヴン・ファレルがタリバーン兵士に拘束されるという事件があった。4日後、イギリス軍の空挺部隊がタリバーンの隠れ家を急襲し、ファレル自身は救出されたが、戦闘では彼の通訳、アフガン人の女性と子供、タリバーン兵士らに加え、イギリス軍の兵士も犠牲となった。

ファレルの一行は、そもそもタリバーンの強固な拠点であり、NATOに爆撃されて多数の民間人死傷者が出た直後で殺気立っているアフガニスタン・クンドゥズの近郊に入り、そこでタリバーンに捕まったのだが、テレグラフ紙の記事によれば、アフガンの警察や情報機関には繰り返し危険を警告され、さらには取材した現地の長老にもタリバーンが近づいているから早く逃げろと言われたにも関わらず、現地に留まって拘束されたのだという。

後日、ニューヨーク・タイムズはファレルの件の検証記事を発表したが、その中でタイムズ自身がファレルへの様々な批判を紹介している。例えばデイリー・メイル紙は、「ジャーナリストの栄光への欲望と高すぎるリスク」と題してファレルを批判する記事を掲載した。読者からも、「ジャーナリスト一人を救うのに何という浪費か」、あるいは「世界の危険で不便な場所からの報道はもっとあってしかるべきだが、しかし拘束されたジャーナリストが最も賢明なやり方をとっていたといえるのだろうか?」などという疑問が呈されたという。また、前掲のテレグラフ紙の記事ではイギリス軍高官の話として、「ファレルが受けた警告の数を考えると、この男を救助する価値があったのか、救助で若いイギリス軍兵士が死ぬ価値があったのかと考え込んでしまう。今後似たような事例があった場合、特殊部隊の投入には再考の余地があるかもしれない」と報じている。また別のイギリス軍情報筋は、「このリポーターはアフガン警察の助言を無視してこのエリアに入った。ありがとうスティーヴン・ファレル、お前の無責任な行動のせいで我々の兵士が一人死んだのだ」と吐き捨てたという。

私は、(戦場)ジャーナリズムの意義を高く評価している。また、自国民保護はどのようなケースであっても国の責務だと考える。当時の英外相デイヴィッド・ミリバンドにしても、ファレルが度重なる警告を無視したのは遺憾としつつ、救出作戦を行ったこと自体は特に問題視していない。しかし、危険と分かっている地域に踏み込んで、それで無事に帰ってきたなら良いけれども、失敗して拘束され、他人に迷惑をかけた場合は、少なくともいくばくかの自己責任はあるだろうし、批判も甘んじて受けざるを得ないと思うのである。

ちなみに、テレグラフはおそらくイギリス政府からの情報を基に記事を書いているが、ニューヨーク・タイムズの記事では、途中のアフガン警察の検問でも止められなかったし、警告もされず、アフガン人スタッフも大丈夫だと判断したと述べており、食い違いがある。現地人とのやりとりを担っていた通訳が死んでしまったので、真相は藪の中なのだが。

安田氏が生還したこと自体は非常に喜ばしい。しかし、それと安田氏の取材計画に問題が無かったかは話が別で、今後慎重に問われるべきだろう。いずれにせよ、ファレルの例を見ても分かるように、戦場ジャーナリストの自己責任を問うべきではないなどというのは、洋の内外を問わず常識とは言えないと思う。

モーレツ! Org mode教室 その7: org2blog で WordPress に投稿する

Org mode でブログを書きたい

Org modeに慣れてくるとなんでも Org modeで書きたくなってくるもので、ブログも Org 記法で書きたいのである。本ブログのような WordPress ベースのシステムでこれを実現するのが org2blog で、XML-RPC を使って Emacs からウェブなどを介さず直に WordPress へ投稿する手段を提供してくれる。XML-RPC (というか MetaWeblog API)ベースなので、Wordpress 以外の CMS でもおそらく使えるとは思うが(名前も org2 blog だし)、基本的には WordPress が想定されているようである。SOAPだJSON-RPCだというご時世にXML-RPCというのはやや古風だが、ちゃんと動く。

例によって org2blog もすでに MELPA レポジトリに入っているので、前回説明した straight.el と use-package の組み合わせで手軽にインストールできる…はずなのだが、残念ながら若干の小細工が必要だ。

org2blog のインストール

話の前提として、Wordpress の XML-RPC インターフェースにアクセスできなければならない。最近では脆弱性対策ということでサーバのほうでアクセスが制限されていることが多いので、これから org2blog を使うというマシンから、Wordpressを入れたディレクトリの直下にある xmlrpc.php にウェブブラウザからアクセスできることを確認すると良い(「XML-RPC server accepts POST requests only.」と表示されるはず)。おそらくhttp://www.yourblog.com/xmlrpc.php といった感じのURLで、WordPress.com のブログホスティングでも同じである。もちろん強いパスワードを設定し、アクセスできるIPアドレスを絞るなどの対策はしておくべきだろう。

さて、org2blog そのものには特に問題ないのだが、org2blog が中で使っている xml-rpc-el の現在のバージョンには若干問題があり、日本語のような Unicode キャラクタを含むリクエストがエラーになってしまう。そこで、早速前回紹介した straight.el の出番となる。直したバージョンを自分の Github レポジトリで公開している人がいるので、オフィシャルではなくそちらを使ってインストールするわけだ。具体的には、org2blog に関する記述の前に、init.el に

(straight-use-package
 '(xml-rpc-el :type git :host github :repo "grettke/xml-rpc-el"))
(use-package xml-rpc
  :defer t  
  )

などと書くだけでよい。

org2blog そのものの設定は、最小限で

(use-package org2blog
  :after org
  :defer t
  :config
  (setq org2blog/wp-blog-alist
        `(("myblog"
           :url "https://www.yourwordpresshost.com/xmlrpc.php"
           :username ,(car (auth-source-user-and-password "myblog"))
           :password ,(cadr (auth-source-user-and-password "myblog"))
           )
          ))
  (setq org2blog/wp-buffer-template
        "#+TITLE: 
#+CATEGORY: 
#+TAGS: 
#+OPTIONS:
#+PERMALINK: \n")
  )

こんな感じになるだろうか。 細かい説明は不要だと思うが、 wp-blog-alist には当然複数のブログを設定することもできる。

auth-source を用いた認証

問題は認証で、ユーザ名とパスワードを与える必要があるわけだが、流石に平文で init.el に書きこむのは気が引ける。そんなときは、Emacs 標準の認証管理機能である auth-source を使うと良いだろう。具体的には、~/.authinfo というファイルを用意し、

machine myblog login WordPressのユーザ名 password WordPressのパスワード

などと書いた上で、

$ gpg -c .authinfo

と GnuPG で暗号化して ~/.authinfo.gpg として置いておけばよい。あとは、 必要なときに auth-source が pinentry のようなパスフレーズ入力ダイアログを呼び出すので、そこから復号化できる。GPG は、Windows でも gpg4win などをインストールすれば普通に使えるだろう。org2blog を毎回使うわけではないのに起動時に毎回 GPG のパスフレーズを聞いてきて面倒くさいという場合は、上記の例のように (use-package org2blog):defer t を指定してやれば、必要なときまで読み込みが遅延されるので、パスフレーズ入力用ダイアログも org2blog の起動時に呼び出されるようになる。

org2blog でブログを書く

ここまで設定した上で、 M-x org2blog/wp-login を実行すると、Wordpress にログインして準備完了となる。あとは、 M-x org2blog/wp-new-entry を実行するとドラフトバッファが準備される。このドラフトのひな形を指定しているのが org2blog/wp-buffer-template だ。Org mode は、ファイル(というかバッファ)に #+FOO: bar という形式で書くことで、ファイル毎に細かく設定を変える仕組みがあるのだが(詳しくはThe Org Manual: In-buffer settingを参照)、ここではWordpressの記事のタイトルやパーマリンクを指定するのに使われている。 #+DATE: を使えば公開日時も指定できる。

ここまで来れば、後は Org 記法で記事を書くだけだ。書くにあたって記法に全く制限はなく、リンクを張ればリンクとして扱われるし、画像ファイルへリンクを張れば自動的にアップロードされる。書き終わったら、 M-x org2blog/wp-post-buffer でドラフトがサーバに送られ、希望すればウェブブラウザを呼び出してプレビューも見られる。もちろんいきなり公開することも可能だ。

ちなみに一度サーバに記事が送られると、ドラフトバッファには先ほどの In-buffer setting の一つとして #+POSTID: 数字 という行が追記される。これがあれば、Emacs 側で追記や編集をした上でまた M-x org2blog/wp-post-buffer を実行すれば、記事がダブることなくちゃんとサーバ側も変更に追従してアップデートされるのである。他にも、サブツリー単位で送信したり MathJax を用いた数式を書いたりといろいろなことが出来るのだが、細かいコマンド等は org2blog の Gihub レポジトリにある説明を参照してほしい。

いずれにせよ、org2blog を使うと WordPress のウェブインターフェースからちまちまパーマリンクやらタグやらを入力する必要がなくなり、まあ大したことではないのだが、気分的には大変楽である。Wordpress をお使いならぜひお試しください。